演歌ってオワコンで先が無いのに何故?


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001 2025/03/14(金) 11:09:05 ID:???
今のジジババが居なくなったら どうすんだろ?将来的にツブシが効かないだろに、

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※省略されてます すべて表示...
021 2025/03/15(土) 00:59:27 ID:unTz6Zt/Eo
[YouTubeで再生]
【音楽コラム】【ビヨンセ】全米カントリーチャート1位!そもそもカントリーミュージックとはなんなのか?

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022 2025/03/15(土) 09:22:51 ID:???
米津やバウンディらが演歌歌手に曲提供すれば面白いんだけど、

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023 2025/03/15(土) 12:53:16 ID:ivUW1VriX2
>>19
>>21
>>22

演歌ってのは>>4の5音階表現や「こぶし」と言われる”歪み”など
明らかにルーツは民謡なんだな。
民謡をベースに(商業ベースに乗せて)歌謡曲としてカテゴライズされてきたわけ。
ところが様々な部分で硬直化して作家は楽譜も歌詞もテンプレから選ぶだけという
創造性のない作業に終始し、その作家はと言えば近代の日本には稀に見る「徒弟制度」で
〇□一門、△■門下とか既得権益の権化のような社会を形成し新規の参入を排除してきた。
大先生がいて、弟子の先生がいて、そのまた弟子の先生がいて其々に門下生といわれる
歌手がいて・・・そういう社会なわけね。

部類として同類の「沖縄民謡」や「島唄」と言われる分野だと新しい血がどんどん
入り込んでいて古くは喜納昌吉やネーネーズ、ちゅらら、ビギンに夏川りみ等々
最初は「偽物だ」などと揶揄されていた宮沢和史(元THE BOOM)も今ではすっかり
島唄謳いとして沖縄の人達にも受け入れられている。(沖縄フェスの常連になってる)

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024 2025/03/15(土) 12:58:40 ID:ivUW1VriX2
(続き)
色々と若干の差異はあるけれど、概ね概念として両者の最大の違いは

・音楽は誰のものでもない、誰もが参加し誰もが作り歌うもの
・徒弟制度と村社会の中だけで専売特権として生業を成すもの

いうまでもなく
ネーネーズ、ちゅらら、ビギンに夏川りみが謳い、外部からの新たな息吹(宮沢和史など)
を受け入れてきたのが前者で
現状の演歌界が後者ということになる

大先生がいて、弟子の先生がいて門下生といわれる
歌手がいて・・・〇□一門、△■門下

これでは「音楽界」でなくても息詰まるし創造性など芽生えるはずもない。
いやね、本当に酒と涙と女、酒場に夜汽車に北の国にそして多くの場合で女は捨てられる運命
熊本の人が火の国(阿蘇をイメージ)を謳うとか例外はあるけれどワードを拾うと本当に
決まり文句(テンプレ)がほとんどで、僅かな例外(先述の火の国のような)でも
無意味なステレオタイプばかりで創造性の欠片もない。

これが現状の「演歌」だよ。

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025 2025/03/15(土) 13:45:16 ID:ivUW1VriX2
>>22
楽曲提供も良いけれど(誰でも良いが例えば)藤井風が「演歌」を歌えば良いんだよ。

今の演歌界は「若手」が出てきたと言っても「歌唱」を担当する村社会の門下生が
若い人に変わったというだけで村も、楽曲も、世界観もなにひとつ変わっていない。
伝統芸能など「何も足さない、何も引かない」継承すべき文化はあるけれど、それなら民謡だよ。
少なくとも今の演歌ではない。

あくまで事例として、取るに足らない例えだけど
「今は夜汽車の時代ではなく高速の夜行バスの時代です」とか
「令和の女は強いから逃避行して泣いてばかりではないですよ」とか
若手と言われる歌い手が新しい世界観を持ち込むとか、あるいは米津や藤井など新しい担い手を
受け入れるとか・・・何から何までが村社会の徒弟制度のままでは無理。
島津あやという歌い手が何かと新たな挑戦を続けているが「異端視され排斥」されているのが
演歌界を良く現している。
また、吉田拓郎や大瀧詠一は「おまんまの食いっぱくれ」になると、言われたと明言している。
先述、音楽は誰のものでもない、誰もが参加し誰もが作り歌うものなのに
一門の「家業」になってしまってる。

全音楽産業を見渡しても、これほど「商業主義の権化」なジャンルはないと思う演歌を
心に滲みるだとか日本人の心だとか、どんなに考察しても理解できない。

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026 2025/03/16(日) 12:34:14 ID:v.gsLK2qWc
>>20
大阪の人にとって”よしもと新喜劇”は別格の存在。
一発ギャグを出すと全員が揃って転ぶ予定調和とマンネリであってもね。
新喜劇の作家さんも直木賞狙いやブロードウェイで上演したりカンヌ狙いの
劇場版のシナリオを書くつもりでは書いていない(と思う)
芸術性や作品の質といわれると、カノ如しだけれど。
同じように演歌を聞いてしみるという人達は作品の質や芸術性は求めていない。
大いなるマンネリと予定調和の世界を期待しているだけだと思う。

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027 2025/03/16(日) 12:36:04 ID:v.gsLK2qWc
>>25
昭和の歌謡史、といっても並木路子や東海林太郎ぢゃなく
ずっと後のアイドル時代の昭和の歌謡史をみれば演歌の世界の
人達が警戒し部外者を阻止してきた理由が解る。
1970年代には吉田拓郎、大瀧詠一などの他、小椋佳などの
職業作家ではない作家が沢山出てきた。
80年に入ると来生たかお&えつこの兄弟、 宇崎竜童&阿木燿子の夫妻
更に下ると尾崎亜美、ユーミン、中島みゆき等々
演歌の世界同様、徒弟制度で成り立っていた職業作家は
シンガーソングライターという当時はニューミュージックと
分類されたジャンルの作家に急速に追いやられて行った。
時系列的に、最後まで生き残ったのは平尾昌晃や三木たかしなど極僅か。
シンガーソングライター以外でも筒美京平や林哲司などは完全に
向こう側(ニューミュージック)だったわけで事実上、徒弟制度下の
職業作家は食い扶持を失った。
特に最近のAKBや坂道系になると”公募”で楽曲を得たりするわけで。
この状況を横目で見ていたら部外者を阻止してきた理由もさもありなん。

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028 2025/03/16(日) 12:37:12 ID:v.gsLK2qWc
演歌に限らずCDが売れない時代。
作詞、作曲、歌唱の各印税もCD販売からは多くは見込めず、唯一
ドル箱として残るのはカラオケからの印税。
また、演歌歌手の多くは地方公演と谷町で生業を立てている。
地方の土建屋さんの社長さんが自社のパーティに演歌歌手を呼ぶ
事がステータス。。な地域や世代も”まだ”いる。
ところが今の概ね30代以下の世代ともなるとカラオケで演歌は歌わない
会社やイベントに呼ぶとしても演歌歌手は呼ばない。
むしろアニソン歌手でも呼ぶ方が随分とステータスが高い。
地方公演成立しなくなる。。。今のままだと演歌の終わりは必然を超えて蓋然。
上の方で出ているように、ビヨンセがカントリーチャートで1位になるように
槇原敬之が演歌をリリースしてヒットする。。。のような展開になれば”演歌”は
生き続ける、ただし従前の徒弟制度は崩壊する。

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029 2025/03/16(日) 20:53:11 ID:7LaC18u66o
>>28
おおむね同意だが70年代の山口百恵や南沙織の頃には既にニューミュージック系が主流だったし小椋佳は更に前から
山口百恵の例の真っ赤なポルシャのプレイバック2も宇崎竜童&阿木燿子による楽曲
そして70年代以降、売れた(ヒット)した曲の大方はニューミュージック系
好例は松田聖子で主だったところだけで松任谷由美、大瀧詠一、財津和夫、尾崎亜美、来生たかお
佐野元春、細野晴臣、原田真二、杉真理、そして全曲に渡りアレンジャーは大村雅朗と売れない筈がない盤石な体制
ニューミュージック系が持ち込んだ6/8拍子や半拍遅れや転調の多用などの新しさに歌謡曲作家はついて行けなかった

当該の変革を演歌に期待しろと?戦争で日本がアメリカに勝利する。。よりも荒唐無稽な要求

>槇原敬之が演歌をリリースしてヒットする。。。のような展開になれば
70年代以降の中心人物の一人である加藤和彦や大瀧詠一が存命なら演歌をやるかも知れないが桑田が遊びで作る以外に
演歌をやりそうな人材はいない

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030 2025/03/17(月) 08:11:06 ID:???
何か凄い書き込みの人居るな、演歌論の本でも出せば良いのに、因みに大瀧詠一御大は演歌や民謡も好んでおられたようで、小林旭や森新一にも楽曲提供しているよね、

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